こんにちは。
教育担当師長の“こころ”です。
今回は、久しぶりに『にちゅ~なひとびとの出来事』シリーズです。
記事を書いてもらったのは、昨年に認知症ケア学会に参加したことをレポートしてもらった“カーズ”さんです。
今回は「ナースマンになった理由」を話してもらいました。
どうぞ(^o^)/
〜ナースマンになった理由(わけ)〜
母親が、看護師だった。ある日、母の知り合いが勤めている療養所の七夕のバザーへ行った。療養所には、体や心に障害を持つ人達が生活していた。カタコトの言葉が、買い物でのやり取りに戸惑いを感じさせた。その帰り道に、チャリンコを漕ぎながら母は訊ねた、「あの子達が、短冊にどんな願いを書いていたか見た?」。自分の短冊は、ありきたりな願い。母は続けて、「『私達も、人間です』って書いたんだよ。」と、言った。人間である事は当たり前、それを願う人達の心が、幼心に悲しかった。
高校を卒業するまでは、母の看護師という職業が嫌だった。夜勤もあれば、仕事もきつく、その為に苦労した自分も居た。鍵っ子、夜間保育、弟の面倒。看護師には、絶対に成りたく無かった。卒業後、プラプラしている所を冷暖房会社の社長に拾われた。それなりにやり甲斐のある仕事であった。冷暖房の機械を相手にしていると、時に人を相手に仕事をしてみたいという気持ちが込み上がってくる事があった。そんな時は、幼い頃にバザーの帰り道での母の言葉を想い出す。その思いは、自らの意思となって職安に足を向かせ、気付いた時には病院の補助手さんとして働いていた。総婦長の勧めもあって、働きながら准看に行った。病院には、認知症を患った人が多く入院していた。スタッフに暴言を吐く事も備えた患者。自分は、いつも捨て台詞を吐いて距離を置く。ちょうど授業で習った痴呆症状。夕食の配膳で、いつもの暴言に加えお膳ごと投げ付けられた。その時は、何故だか優しく対応する自分が居た。食事の介助をし、ベッドサイドを立ち去ろうとした自分に、その患者は言った、「おまんさ、名前はなんちゅうんだ?あいがと、覚えちょくわ。」その瞬間、涙が溢れて来た。痴呆症状だと学んだだけで暴言患者の反応が違う事が、認知症患者の誠意が、うれしいやら、悲しいやら、涙が止まらなかった。
認知症患者とは云え、その人の想いや言い分がある。何かを伝えたい、分かってもらいたい、といった感情を持つ『人』を相手にしている。看護する側も感情を持っている。ただ、奉仕的な、自己犠牲的な関わりではなく、『人』としての自分の反応感情がその時々の『対応』として現れる。自分の想いを相手に伝えること、伝わる時、暴言の向こうに何か通じたといった達成感を得ることが出来た。それは、対人間を職業とする看護のやり甲斐や面白さであり、難しさでもある。幼い頃の母から伝えられた、『私達も、人間です。』の意味をいつも考える。ただ、悲しいのではなく、誰かの助けを必要とする人を支える存在としての看護師という職業を。いままでも、そしてこれからも。
どうでしたか?結構感動的な内容だったでしょう?
では、また。
“こころ”